学ぶこと、思うこと
学ぶこと 思うこと
学びて思わざるはくらし(=愚か)、思いて学ばざれば危うし。(孔子の論語)
「学ぶ」の対象は「与えられたもの」。歴史や世界について客観的な知識を獲得するということ。
これが問題だと「思う」ことを持っていて、自分の頭で考えて解決法を求めているときに
その問題を解決するためには知識が必要だから、知識を「学ぶ」。
問題意識が自分のなかにあり、その事についてよく考える事が「思う」こと。
問題解決をするために必要なのは、先ずは問題を意識することです。
意識化された問題が自分自身のなかにあることが「学ぶ」ことの動機になります。
「思うこと」と「学ぶこと」は、このように関係しているのです。
過去に起こった出来事の結果が現在です。現在の状況は過去の積み重ねの結果です。
未来に目を向けると、私たちがどうしていこうかという、時に、すべての行動には目的があります。
その目的を達成するための手段は限られています。
だから、与えられた手段の中から、その時に使える手段を選んで目的を達成しようと努力するわけです。
「思うこと」から、自分でこうしたいという目的が出てきます。
すべての行為が成立するための条件のうち、半分は目的の選択です。
そしてもう半分の条件は、手段の選択、ということになります。
手段は、今与えられている手段の中から選択するほかないのです。
ですから、未来に目を向けたときにも、手段は過去の結果としての現在から選択される、
つまり、現在おいての過去と未来は出会っているわけなのです。
現在は、過去の結果であると同時に、現在のすべての行動は未来へ向かっているのですから、
過去は未来へ向かっての行動の条件であるということができます。
戦争が終わったときに生まれていなかったか、などとういうことは重要な問題ではありません。
今あるものの中から未来へ向けての手段を選択することは、過去の結果の中から選ぶ
ということであり、同時に、未来へ向かってのあらゆる行動の条件であるわけだから、
現在に生きているということは、過去とは切り離せないということなのです。
以上、歴史に対する責任について書かれたものですが、私達の会社に置き換えて読んでみても面白いと思いました。
私たちの会社も過去の結果として設立され、設立後の積み重ねにより現在があります。
現在の私たちは、何を「思い」、未来へ向かうのでしょうか?